多町看板
『多町』は「たちょう」です!
「たまち」ではありません。
間違えないでくださいネ!
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 多町の町並み(2003〜2004期の町の様子)

祭っ子

徳川家康は、慶長八年(1603)に
荒涼たる武蔵国・江戸に幕府を開いた。
幕府は、この年に神田、日本橋、京橋の町割りを決め
江戸の町づくりを始めたという。
慶長期(1596〜1615)に起立した町を江戸古町といい
神田に限ると22カ町が成立している。
最も古い町は三河町、鎌倉町で慶長十年(1605)の起立。
その次が慶長十一年(1606)に起立した「たちょう」で
神田では三番目にできた歴史ある江戸最古町のひとつである。

現在の町名表記は「多町」であるが
町の起立時は「田町」であった。
神田の地は、もともと低湿地帯で「田町」も田を埋め立てて
できた町という意味でこの名がついたのであろうが
町名の
由来はさだかではない。


ここが神田多町です・・・。
ご覧のように神田多町は、超都心に位置しています。JR神田駅や地下鉄の神田駅、淡路町駅、小川町駅の各駅から5分以内で歩いて行ける町なのです。この地図にわざわざ「神田多町二丁目」と記したのには訳があります。地図にも神田多町は二丁目しかなく一丁目はないのです。そもそも町が起立した江戸時代の初期には「田町」と表記されていて一丁目と二丁目で成り立っていました。なにしろ慶長の頃に名主の川津五郎太夫が田町一丁目に「菜市」を開いたとの記録があるほどの江戸古町です。ちなみに、この「菜市」が大きく発展したのが、後に多町を中心に栄えた「神田青物市場」といわれ、明暦の大火(1657)後より、昭和3年(1928)までの約270年間の歴史をこの地に刻みました。「田町」は青物市場として大きく発展、繁栄していく中で物流や人口、人の流れも大きくなり町名が「多町」となったといわれています。現在の「多町二丁目」は江戸古町たる旧多町一丁目と旧多町二丁目が昭和8年に合併されたもので、厳密ではありませんが地図内の一八通りの南側が旧多一、北側が旧多二でした。当時、多町の北隣の竪大工町が新多町一丁目になったのですが、この町も昭和41年の住居表示変更で「内神田三丁目」になりました。
だから今・・・神田多町は二丁目しかないのです。
マップ
神田多町二丁目の現況
473世帯 662人(男:369 女:293)

[平成20年2月1日現在 千代田区発表]