多二のおばあちゃんの昔ばなし
〜松尾神社と神田多町市場〜
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平成17年10月22日(土) 於:もんど宅
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出席者 おばあちゃん:大正6年1月 旧神田多町二丁目にて誕生(88歳)
カ ト :千代田区四番町歴史民俗資料館
タッキ :千代田区四番町歴史民俗資料館 もんど :神田多町二丁目 西 平 :神田多町二丁目
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ばあちゃん
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母のとよ(明治22年生)は体が弱く始終家で寝ていたんですよ。 私は大正6年1月生まれ
それで寂しいもんだから昔の話をしてくれたんですよ。はっきりは覚えていないんですが |
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カト
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覚えている限りで結構です。千代田区の役所に勤めております。よろしくお願い致します。 |
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西平
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カトさんは松尾さんの神社と市場の関係を色々伺いたいそうです。 |
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もんど
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おばあちゃん、松尾稲荷さんは松尾神社ではなく昔から松尾稲荷神社と呼んでいましたか? |
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ばあちゃん
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私は良く知らないけれど・・母が言うにはここが田んぼだったんだというんだけど。
田んぼに稲が有ったのでそれを松尾神社に祀ったって言うんだね・・ |
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西平
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大昔だよね〜。 |
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ばあちゃん
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大昔の話だわね。・・・以前は田中さんの、味噌屋さんの裏側にあったのよね。 |
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もんど
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それがこの地図ですかね? |
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ばあちゃん
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??・・杉山さんて知ってるかしら? |
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西平
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私は存じませんが。 |
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ばあちゃん
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お守りをしていたのよ。ここに家があって。 |
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西平
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社務所があったんですか?田中さんの裏にあって、鳥居はどこに面していたんですかね? |
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ばあちゃん
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こっちに向いていたわね。あのう・・、東の方に向いていたわね |
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西平
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路地かな? |
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ばあちゃん
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路地のすぐ・・角・・? |
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西平
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道も変わったしね |
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ばあちゃん
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道も変わったし・・中途半端な話しか・・まとまった話が出来なくて申し訳ないけど・・ |
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もんど
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何年生まれですか |
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ばあちゃん
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大正6年です。1月で89歳。私の母親もここ多町で生れたのよ。
ここいらでその時分のことを知ってる人はいないかな?他はお嫁にいらした方・・ |
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もんど
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以前松本さんのおじいちゃんにお伺いしたら、
松尾神社は松本先生のおうちの裏にあったと聞きましたが? |
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ばあちゃん
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ええ、そうです。今の場所じゃなくて裏にあったのよ |
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もんど
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地図で伺ったほうがいいかな? |
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ばあちゃん
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小林荷札(現:コーパック)の所に市場の人が普請をするので、すごい家を建てたのよ。 |
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西平
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鶴岡辰五郎。マンタツかな? |
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ばあちゃん
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それは知らないんだけど |
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西平
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お母さんは?明治・・・? |
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ばあちゃん
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明治何年だったかしら?私は末っ子だから |
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もんど
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明治10年ごろですか?20年代かな? |
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ばあちゃん
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普請をした時に松尾さんを壊したちゃったの。つぶしちゃったの。
そしたら建前のときに梁から落ちたり、
仕事師なんかにけが人や死人出たり災いがあったの。
それで、建ったのかな?建ったんだけどつぶれちゃったのかな? |
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西平
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つぶれちゃったというのは、普請をした鶴岡辰五郎さんちが没落したはなしだ。 |
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ばあちゃん
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その土地が、何だか気持が悪い。鳶頭もなくなったとか。祟りだという事かな。
色々調べたら、松尾神社が多町が好きなのにどかされちゃったから、
祟りがあったということらしい。
庄之助の後ろにお稲荷さんがあるでしょ。
あそこのお稲荷さんと松尾神社が仲良かったんだって。 |
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もんど
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豊潤稲荷です |
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ばあちゃん
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松尾神社が行く所が無かったので、そこのお稲荷さんに居候してたんですって。 |
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もんど
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松尾神社と豊潤稲荷が仲良かったんですね |
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ばあちゃん
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そう。それで松尾神社がつぶされていくところが無いから、居候したのね。
須田町に、当時は佐柄木町。
いつまでも居候はいやだって、多町へ帰りたいって言ったんですって。
それを聞いて、また松尾神社は多町に戻ってきて、祀ったの。 |
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西平
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戻ってきたのは多町のどこだったんですかね? |
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もんど
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松本先生の家の裏? |
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ばあちゃん
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ううん、あそこじゃないわね。お味噌屋さんの裏。
田中さんの家の裏に戻ってきたの。
かなり回りも広々としていたわよ。私たちが遊んだりした。 |
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西平
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「マンタツ鶴岡辰五郎」さんが滅んだ、
没落する前に松尾さんをぶっ潰しちゃっていたんだね。 |
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もんど
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没落したのは明治36年です。 |
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西平
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と言うことは、明治36年より以前の明治時代中期に松尾さんを潰しちゃっていたと。 |
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もんど
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これがその大金持ちの人の鶴岡家の家系図なんですよ。
明治36年に、鶴岡家が没落しているんですよ。
松尾稲荷神社がもともとあった所が、鶴岡辰五郎の敷地内だという資料があります。 |
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ばあちゃん
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そうじゃなかったのかな? |
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西平
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どちらが正しいとかではなくて・・ |
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ばあちゃん
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その人の所でお稲荷さんを潰して、行く所がなかったのかな? |
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西平
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そういう話は、お母さんから聞いたんですか? |
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ばあちゃん
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ええ、そうです。母親から聞いたのよ。
松尾神社は多町に帰りたいって言って、
ここが(鶴岡家が)潰れてたから、田中さんの裏に来たのね、
当時は路地が狭かったのよ。本当に狭かったのよね。 |
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西平
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震災復興で道は変わったから、多町大通りもこんなに広くはなかったし
あっち(須田町方面)へ行けば一直線ではなかったからね。 |
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ばあちゃん
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奥田さんの前に横丁があって、で火事があったのよ。 |
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西平
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おばあちゃんも旧多町二丁目の生まれですよね? |
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ばあちゃん
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そうよ。 |
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西平
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神田市場での屋号は何と言いましたっけ? |
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ばあちゃん
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サンコウ(三幸)。 |
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西平
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三幸ってことは、たぶん三河屋系なんだろうね・・・ |
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ばあちゃん
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蓮問屋だったのよ。レンコンとクワイね。 |
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もんど
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松尾神社にお神輿があったという話を聞いたことがないですか? |
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ばあちゃん
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ないわね。多町のお神輿は大きくて、白木だったわね。
市場の若い人が担いでいたわね。
千田さん(現サンエックス)の向こう側多町一丁目は担ぐ人がないから、
二丁目の若い人が担いで壊してたかなよく喧嘩してたわね。
お神輿同士で喧嘩するのよ。多町二丁目の若い人が担いで壊すのよ。 |
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西平
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旧多町一丁目のお神輿が出来たのが大正9年なんです。 |
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ばあちゃん
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それは壊されるからって(国立博物館に)寄付しちゃったのよ。 |
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西平
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そこが良く分からない。壊される?旧多一と旧多二が合併するときだったんですよ。 |
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ばあちゃん
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多町二丁目の若い人が担ぐと壊されるって・・・ |
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西平
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合併は昭和8年で、その時はもう震災で多町二丁目のお神輿はなかったはず。 |
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ばあちゃん
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だから、二丁目の若い人がそのお神輿を担ぐと壊されるから寄付したってそういってたわよ。 |
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西平
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これまでどうして、神輿を国立博物館に献納したのか分からなかったんですよ。
ところで市場の神輿は白木で完成していなかったっと聞いたんですけど・・ |
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ばあちゃん
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白木のまま担いでいたわよ。 |
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西平
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証拠はないんだけれど、市場組合が神輿を完成させる金がなくなって引き取られて、
それを金具をつけて塗り直して完成させたのが、鳥越神社の本社神輿だという噂話もある。 |
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ばあちゃん
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大きかったのよね。上に2人か3人も人が乗ってね。 |
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西平
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うちのおじき(親父の兄さん)が明治43年生まれで、ちらっとそういう話を聞いていて
神輿の金が払えなくて持っていかれちゃったんだという話をね。 |
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ばあちゃん
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幸ちゃんね。清元やってた。奥さんも・・ |
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西平
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市場の仕事を辞めてからは末広町へ引っ越して食堂をやってたんです。
うちの叔父きも祭好きで神輿の上に乗っていたと聞いてますが、
相当若い頃じゃなきゃ、10代か20歳頃か・・・
そうじゃないと、年代があわないんですよ。
市場の神輿ってせいぜいあっても震災までですよね。 |
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もんど
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震災のときはどうしていらっしゃいましたか? |
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ばあちゃん
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震災・・大正12年ね。ちょうど1年生だったの。
学校から帰ってね、ああそんなに気にしないで・・・
冷蔵庫(日冷の製氷工場・旧多一)の前にござ敷いてみんな逃げてたの。
っていうか、いたんですよ。 |
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西平
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遠くに逃げなかったのですか?そこの冷蔵庫? |
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ばあちゃん
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冷蔵庫にスイカとか色んなものがあったでしょ、出してくれたりして・・
それから長靴はいて上野に行けと言われたのよ。火事になって、向こうから火がでたから
母親や姉と一緒に上野の山に逃げたの。 |
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もんど
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伊勢万(大西浅次郎)の息子は皇居に逃げたんですよ。
神田駅に逃げた人は400人ぐらい亡くなった。松屋のところまで火が迫ったのを見ながら
地割れに大八車の車輪を取られながら、皇居へ逃げたんですよ。 |
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ばあちゃん
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父親は、店の人と皇居へ逃げたんですよ。塩栄は母の兄さんの家、実家なんですよ。 |
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西平
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おばあちゃんのお母さんは黒井さん?実家が? |
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ばあちゃん
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そうよ。鶏屋(鳥正)のとなりの今の城口ビルの所で塩問屋だったの。
小田原屋さんは3人兄弟で、漬物問屋酒問屋だったの大西長兵衛
うちの母親が生れたところは塩問屋だったの、
それが潰れて小田原屋さんに売ったの。
昔はおじいさんが芸事をしたりして、三味線したり。
硝子の写真があったわよそれで潰れたのね。
母親の上が栄太郎。
黒井栄太郎って言って、若いときは道楽者で家を出て、どこかへ行ってたの。
塩栄の叔母さん知らない?商売人の女の人を連れて帰ってきたの。
それで、仕事がないから八百屋でもしろという事で、
塩屋だったのと栄太郎を取って「塩栄」にしたの。
それで、今の所に母の兄が店を出したの。車力茶屋もやってましたよ |
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西平
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私の叔父は塩栄さんと仲良くて、谷中のお寺も紹介してもらったりしています。
おばあちゃんとことうちとは親戚づきあいみたいにしてもらってたんですね。
妹の叔母は秋山(須田町・八百屋)へ嫁いだんです。 |
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ばあちゃん
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魚河岸も日本橋の橋の手前にあったから、やっぱり神田明神の氏子でしょ。
母親から聞いたんだけど、
魚屋と八百屋だから宮入のときも昔は順番がないから、喧嘩してたのね。
昼間喧嘩するんだって。それが面白いの。夜中にドンドン戸を叩いたからあけたら
魚河岸の人が仕返し出刃包丁持ってきたんだって、
こっちは八百屋さんでしょ、天秤棒で応戦したらしいわよ。
けが人も出てスゴイ喧嘩だって。大分前、大旦那が出てきて納めたらしいわよ。
それだから今のお祭りは面白くないって言ってたわよ。
昔は若い人が遊ぶ事がないから、お祭りにお金かけたり、そういうことしたのよ。
1ヶ月に1回、16日が青物市場の休みでね。後は休みないでしょ。
若い人ばっかしだから、芸事を良くやりましたよ。三味線だの踊り。かっぽれだの。
農家が売りに来た残りを、置いていってそれが始まりで、幕府が出来て青物市場になった。
葵の紋をつけたものをかけて青物を徳川さんに持っていったといって威張ってたらしい。 |
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もんど
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おばあちゃんが生れたのはどこですか? |
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ばあちゃん
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今の磯村さんの辺りかな。 |
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もんど
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この道(もんど家の前の道)ができたのは震災より後でしょ? |
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ばあちゃん
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細い路地でどぶみたいなのがあった。松本さんの横の通りも細かった・・
そのさきに奥田さんがあって、村常さんという大根問屋があってそこも火事で焼けた。 |
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もんど
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松尾神社に行くのは、前の道ですか? |
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ばあちゃん
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東を向いていたからね・・明治12年の地図を見ながら・・(良く分からない) |
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カト
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今に比べて、随分広かったんですね。 |
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ばあちゃん
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子供のとき良く遊びましたよ。 |
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カト
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(松尾神社は)昔のお祭りもこの時期にやったのですか? |
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ばあちゃん
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よく覚えていないけれど・・大体そうだったと思います。京都の嵯峨にもありますね。 |
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もんど
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京都の松尾神社との関係をご存知ですか? |
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ばあちゃん
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知らないわね。 |
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カト
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小さい頃の記憶で松尾様の中に狐の石造はありましたか? |
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ばあちゃん
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さ〜。記憶にないわね。 |
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カト
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林さんの家のほうにあったと、鳥井さんと田中さんがおっしゃっていましたが・・ |
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ばあちゃん
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屋号(市場の)でないと分からないわね・・・林家分からず。
(鶴岡辰五郎家の普請〜没落の話の繰り返し)
震災のときこの辺は皆燃えた。 |
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カト
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その時に松尾神社は燃えましたか? |
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ばあちゃん
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さあね〜。ただ火伏せの神って言いましたからね。
松尾神社が火伏せの神だから、多町はわりに火事がなかった。
その時分(震災)火事が起きて復興でその通りが出来た。
道が広く出来たって・・・それまで多町は火事が少なかったんですよ |
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カト
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多町には松尾神社以外のお稲荷さんはありませんでしたか? |
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ばあちゃん
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個人でお稲荷さんを持っていたところはありましたね〜。町会ではないですね。 |
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もんど
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大正元年の地図です。今のここが松本先生の所で、道が行き止まりだったんです。
この道はまだなくて、どぶ板があって細くて私道になっていたんです
そのときに、松尾さんはこの辺にあったんですよ。 |
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ばあちゃん
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ここがお味噌屋の田中さんの所じゃない?田中さんの横から入った所くらいでしたよ。 |
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もんど
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それが松本先生の家の裏あたりになるんじゃないですか?震災のときはここですね。 |
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ばあちゃん
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そうですねぇ。 |
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カト
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鶴岡辰五郎さんの家はどこですか?そこにはかかっていないんですね。 |
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もんど
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かかっていません。 |
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カト
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話の上からすると、少なくとも3回は場所が変わっていると思っていいですね。
ここにあった(鶴岡辰五郎の邸うち)ものが豊潤稲荷の所(須田町)に行って、
田中さんの裏に戻ってきて、何らかの理由で今の場所に移ったということですね。 |
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もんど
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公文書館の文書によると一回は神田明神にも行っているんですよ。 |
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カト
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建てている途中ですね。全部で4回の経緯があるんですね。 |
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ばあちゃん
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それは知らなかった。 |
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カト
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おばあちゃんの話で今それがはっきりしたんですよ。
多町にほかにお稲荷さんがなかったとすれば、
町の守り神的存在が松尾さんだったんですね。 |
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もんど
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多町一丁目には一八稲荷があったんですよね |
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ばあちゃん
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大分後じゃないですか。 |
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もんど
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昔からあったと聞きましたが・・あっちは余り知らないんですよ。 |
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ばあちゃん
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私も知らないわ。
私は淡路小学校に行ったのでね、神田小学校のあたりは余りよく知らないの。
友達やなんかもいないのよ。 |
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もんど
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旧多町一丁目ですね。今は二丁目になっているけれど。 |
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カト
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多町のこのあたりに住んでいた人は松尾さんを拝んでいたと言う事ですね。 |
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もんど
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市場の人がみんなお参りしていたんですよ。 |
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カト
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須田町の方のお稲荷(連雀町:出世稲荷や延寿稲荷)へお参りに行かなかったですか? |
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ばあちゃん
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町会が違うから行かなかったわね。市場にかかわる人はこっちだったわね。
多町や佐柄木町のお稲荷さんに行ったわね。 |
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カト
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市場に関係した人もこのあたりに住んでいたということですか? |
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もんど
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そうですね震災の頃の地図です。お店ですね。(地図で話)
塩栄さん、伊勢万など
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ばあちゃん
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伊勢万はこっちだったかしら?この並びだったんじゃない? |
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もんど
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この地図ちょっとおかしいですよね? |
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ばあちゃん
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昔は屋号で言ったから、苗字ではちょっとね〜 |
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カト
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さっき、むこう(松尾神社)で聞いてきたんですが、
今、松尾神社があるあたりは「市場かんりょう」という
会社があったということでしたが、その記憶はありますか? |
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ばあちゃん
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ないですね〜。
向こうへ(秋葉原へ市場が移って)行っちゃってから株式会社になったんですものね。
大東亜戦争で区画整理した???(記憶違い) |
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もんど
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秋葉原へ移ったのは昭和3年ですよ。 |
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ばあちゃん
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大正12年の震災で区画整理して、あっちに移ったんだ。 |
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もんど
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震災でこの道もできて、この道もできて、我家も昭和7年ですから。 |
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カト
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戦争のときは疎開したんですか? |
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ばあちゃん
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疎開しました。どうせ焼けちゃうんだから2万円で売りたかったけど売れなくて・・
上野の楽器屋さんが、十文字の方が買ったの。焼け残ったの。 |
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もんど
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ここはほとんど焼け残ったんですよ。 |
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カト
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疎開した人は元の所に戻ってきたんですか?松尾さんも焼けてないんですか? |
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ばあちゃん
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焼けていないわね。 |
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カト
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今、松尾さんの土地の所有は誰になっているんですか?
あちらで聞いても分からないんですよ。
登記上の問題もあるし、名義は誰になっているのかしら? |
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ばあちゃん
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西藤(にしとう)さんはどうかしら?
西藤さんが中心になって再建とかやっていました。
最初は傘長さん(先代前川氏)がお金を出して個人的にやっていた。 |
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もんど
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これが、白浜藤七(しらはまとうしち)屋号が「西藤(にしとう)」
白浜藤七さんが町会組織が出来る前の、多二の初代町会長。 |
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ばあちゃん
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西藤さんは伊勢長(松本)さんとよく一緒にやってたのよ。 |
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もんど
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その辺は西平さんが詳しいから・・・ |
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カト
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その時期に、いまある維持会が組織されたと思っていいんでしょうか?
今は、松尾神社維持会というものを作ってやっているんですよね。
昭和5年頃にもういちど松尾神社を
きちんと組織立てて信仰しましょうというときに作った会だと思うのですが、
それに先ほどおっしゃっていた方々が名を連ねていらしたんでしょうか?
関わっていらっしゃったんでしょうか? |
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もんど
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賽銭箱を見れば屋号でみな書いてありますから、
それを照らし合わせれば分かるんじゃないでしょうか? |
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カト
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その中に今やっている田中さんや、鳥井さんが入っていらっしゃるんでしょうか? |
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ばあちゃん
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田中さんは味噌屋さんでしたよ。 |
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カト
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鳥井さんは慶長年間にあっち?からやってきたって言うんです。
ちょっとこっちの話と違うんです。 |
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もんど
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慶長年間は江戸時代の初めですからね・・・ |
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ばあちゃん
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鳥井さんは、あの方はまだずっと最近ですよね。
石和田さんとね(区議会議員)一緒にやってらした。
田中さんも娘婿さんだし。 |
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もんど
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おばあちゃんは昔からここで、生れて育っていたから。 |
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ばあちゃん
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母から(母も多町生まれ)聞いた話だからね。私もぼけているから。 |
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カト
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青物市場で働く人だけでなく、
市場で使う函や道具を作る職人さんがたくさんいたと聞きましたが。 |
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ばあちゃん
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えっと、今の田中さんの味噌屋さんの角に何かあったような・・
「おさだ」さんて変な人がいたでしょ。あの人が田中さんのお味噌屋さんの裏にいたのよ
今の不良、悪いおくらちゃんと仲良くて、駄菓子屋さんがあったりして。 |
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カト
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昭和の初期の話じゃないですか?顔をあわせていたのでは? |
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ばあちゃん
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その時は、その友達のおくらちゃんが大分元気でいたけど。
田中さんのあのあたりは新銀町って言ったの
立ちんぼ(日雇い)の人が仕事が終わると、お酒を飲んでいたりしてたのよ。 |
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カト
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市場は広いですよね? |
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ばあちゃん
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市場は多町、佐柄木長、雉子町も少し入ったかな?(連雀町・通り新石町・須田町も)
山車がすごいのがあったのよね。多町には、昔は山車を引っ張ったんですけど、電信柱を切ってね。
鐘馗様だったのよ。酒樽を積み上げて。 |
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カト
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そうやって酒樽を積み上げているのを見ると、お酒の神様? |
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もんど
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それは違います。これが昔の鐘馗、ここが塩栄、ここに交番があって。 |
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ばあちゃん
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震災で鐘馗様が焼けたのよね。着てる反物が三越で1寸が10円とかね。
どこへどういったかが分からない。反物は残った?
残ってない?写真があったのを田畑さんにあげたわね。
>>>鐘馗については不明<<<
いつだったか、とある田舎の叔父さんが、
多町の鐘馗様が好きでお祭りといえば見に来ていた。
あるとき、見ていて「今年の鐘馗は死んでる」って言うんだって。
こっちのやからが「何言ってるんだ」
「田舎っぺが!田舎の爺さんが何が死んでるって、分かるもんか!」といったら、
「申し訳ないけど、これを建てた人を呼んでくれ。私が費用を出しますから・・」
それで呼んでみたら天秤棒が一つ足りなかったの。
後ろの天秤棒が足りなかったから鐘馗様が死んでるって言ったのね、
それで、言って直したんですってさ。
多町の人が田舎のおじいさんに言われてハジだといって花家・・・
ご馳走したんだって・・・いや違った。おじいさんが申し訳ないといって
町会の市場の旦那たちを招待したんだって。
多町の旦那達はお金を出してもらったり、招待されて申し訳ないとお礼に行ったら、
どこだったかしら駅に着いたら駅から家までず〜っと自分の地所なんですって!
大地主だったんですって。だから「人はなりふり見てバカにしちゃいけない」
来るときはほんとに田舎の爺さんなんですって、祭りって言うと来るんですって。
龍名館に泊まってたの。ハジだって御礼に行ったら大地主だったの
だから「人はなりふりを見て差別するな」とよく母親に言われましたよ。
鐘馗さんは凄く大きかったですよね
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もんど
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昔の松尾神社で撮った写真がありませんか? |
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ばあちゃん
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昔は余り写真を撮りませんからね。今は簡単だけど・・
西藤さんは今はどこへ行ったのかしら? |
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西平
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西藤って屋号で今もあるんでしょうか?(再び地図で伊勢万の場所が違うなど) |
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ばあちゃん
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伊勢万の家はみんな割合とモダンでね、
楽器やなんか持ってさあ、娘さんは音楽やってたりしてたよ。 |
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もんど
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伊勢万が亡くなったのが大正14年なんですよ。
その後に千加坊が納札の方は後を引き継いで。 |
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ばあちゃん
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千加坊ね。あそこの髪結い屋のおことさんとね。知らない?
お宅のそばだった、おことさん、知らない? |
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西平
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いや〜髪結い屋さんって、今で言う美容院ですよね? |
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ばあちゃん
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日本髪結ってたのよ。お母さんがやってさ。ことちゃんがさ千加坊のさ〜 |
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もんど
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これだったの?(小指) |
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ばあちゃん
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うん。 |
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もんど
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え〜?実際結婚したのはは幸(こう)さんでしょ。 |
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ばあちゃん
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おことさんは芸者かなんかやってたのよ。千加坊は、使いぱっしりやってたのよ。 |
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西平
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若い頃は、そうらしいね。で、大人になっても千加坊が通り名になったんだ。 |
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ばあちゃん
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ことちゃんってのも芸者さんできれいだったし、お母さんも髪結いさんだったしで
あそこへ始終出入りしてたのよ。 |
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西平
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それは昔の旧多一にあったんですか? |
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ばあちゃん
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そうよ。お宅が出たところの角に飲み屋があったじゃない。 |
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西平
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うちの路地の角ですか? |
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ばあちゃん
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今、八百屋が出来た向かいの角だった。 |
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西平
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あ〜、薗田の路地の角。それじゃあ、うちと同じ番地だな。 |
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ばあちゃん
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登坂運送屋さんの向かいの角が髪結いさんだったの。 |
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西平
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やっぱり町って変わるんだな〜。 |
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ばあちゃん
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千加坊、千加坊って、よくいた。居候?まあ仕事は大して持ってなかったね。 |
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西平
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生涯、千加坊さんは大西さんの子分だったんでしょ。伊勢万の? |
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ばあちゃん
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どこの子分?伊勢万の?フ〜ン。 |
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もんど
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千加坊が書いたのを読むと、市場の仕事はお昼には終わっちゃうから、
そしたら万年湯に行って汗流してそれから芸事やる人は芸事やったり、落語を聞きに。
立花亭に行ったりそういう生活だったと。 |
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ばあちゃん
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小柳とか立花とかあったからね・・・ |
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もんど
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長谷川長太郎、山長(やまちょう)って覚えていますか? |
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ばあちゃん
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あああ、山長って聞いてるけど。 |
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もんど
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顔写真見れば分かります? |
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西平
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大分年とってからの写真、足立区のほうに移り住んでからのだね。 |
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ばあちゃん
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お宅のおじいちゃん(後藤錦司)、こっちは千加ちゃん。
村常?ミツ船?なんかの写真あるのね。 |
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もんど
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他に市場の人で記憶にある人ってどういう人がいらっしゃいます? |
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ばあちゃん
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足立屋の〜 |
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西平
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おぉ!足立屋の豊ちゃん。モンモン(彫物)がスゴイ人、読んだ事がある。 |
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ばあちゃん
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刺青してさ、そうそうお祭りでお神輿の上に乗ったり。 |
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西平
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市場の祭りでは彫勇会の立派な彫物しょった人が皆、お神輿の上に乗ったりしてたんだ。
トヨちゃんか、ゆたかちゃんか分からないけれど・・・ |
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ばあちゃん
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傘長さんも古いんだわね。 |
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西平
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傘長さんの先代も彫勇会は入ってんだかどうだか知らないけれど
人によっちゃあちょっこしか彫ってなかったって言うけど。
大安の叔父さんは?大阪屋系かな??ダイアン?ダイヤス? |
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ばあちゃん
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ダイヤス・・・さん? |
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もんど
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大安の叔父さんとか・・峯の清ちゃん?トウハチケンやったり三味線やったりして。 |
|
ばあちゃん
|
昔は花火だって言うとね、河川を使ってたでしょ。
今の城東区?の方の蓮田があって持ってきてた。
船が万世橋の所、お稲荷さんがあるでしょ。柳森神社のそばに船着場があったの。
そこから野菜やなんかを持ってきてやった。
その船で花火のときは、両国へ花火を観にいくんですよ。
私たちが子供のときだけど、芸者だの講武所の芸者が出て、
花火見るよりドンちゃん騒ぎをして歌ったり、かっぽれを踊ったりしたの。
花火が終わると水上の警察が出てきて船を整理するの。
昔は花火っていうと上で見るより、船で花火を観にいく人が多かったのよ。
一番最後にされちゃうのよ、でも一番最後にいいしかけ花火が見られちゃうのよ。 |
|
西平
|
花火って、今の浅草の花火じゃないんだよ。両国の川開きの花火だよ。 |
|
ばあちゃん
|
昔はね仕掛け花火がすごかったのよね。良かったのよね。 |
|
西平
|
子供の頃(小学生のころ)、大木ビル(中央通り)屋上を開放してくれて
両国の花火を見た記憶がある。ビルが建っていないからね。ここから見えたんだよ。 |
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もんど
|
物干しがあった頃は、職人がござ敷いて親父と酒呑んで、花火を見た。
高いビルといえば万惣の上にオルガンのミシンのネオンがあったくらい。
他にビルはなかったからここの上から両国の花火は見えた。 |
|
ばあちゃん
|
須田町の交差点のワシオカって今もあるさ、あそこの家が早くビルを建ったでしょ。
あの屋上でネ、見たりネ。塩栄の所からだって上あがんの花火よく見えたんですよ。
物干しじゃなくて、表だって、上へ上がるんだから |
|
西平
|
花火は上へ上がるんだから、ビルさえなければ多少遠くたって見えるんですよね
おばあちゃんのお父さんもやっぱり道楽してたんですか? |
|
ばあちゃん
|
そうね〜だから二号がいたりなんかした |
|
西平
|
じゃあ、市場の旦那衆は儲かったわけですか? |
|
ばあちゃん
|
儲かった・・・お金お金とは言わないけどね。 |
|
もんど
|
宵越しの銭は持たねえんだよ。 |
|
西平
|
でも、どう見たって魚の方が儲かるよな。青物よりも。 |
|
もんど
|
あっちは日に千両だからね。 |
|
ばあちゃん
|
取り引きが終わったら、その日のうちに農家とかにお金は払うよね。現金取引ね。 |
|
西平
|
日銭はバンバン入ってくるわけですよね。
お父さんとか、市場の旦那衆は、自分達の市場の事を「ヤッチャバ」って言いました?
「ヤッチャバ」っていう、下した言い方は使わないように思うんだけど。
本にも書いてあったんだけど、確認する人間がもういないんですけど。
「オレはヤッチャバの人間だ」って言いましたか? |
|
ばあちゃん
|
そうね。うちの父親も大した学校なんか出ていないけど、
符帳があって四六時中書くことがあるんだけど、
その書いたものを見ると、字、上手に書いてありましたよ。昔は筆でね〜。 |
|
西平
|
うちの親父でも、ろくに勉強してないけど、筆持たせると字だけはうまかったもんな。 |
|
ばあちゃん
|
字ねえ〜。立てて・・・さして。
お昼終わって、夕方になっちゃうと草履出せ何とか出せって出かけて行っちゃってさ
母親は黙ってるから、私や姉に小遣いやって・・・ね。 |
|
西平
|
お父さんまでは市場の旦那で、おばあちゃんのご主人は会計士の方・・・? |
|
ばあちゃん
|
そう。 |
|
西平
|
お父さんの市場の仕事を誰か兄弟とか継ぎましたか? |
|
ばあちゃん
|
ううん、ないの。 |
|
西平
|
じゃあ、お父さんの代で三幸さんは終わっちゃったのですか。
三幸さんの三(さん)のつく屋号で三河屋系は回りにたくさんありましたよね。 |
|
ばあちゃん
|
そうね〜。「三鉄」さんだとか。 |
|
西平
|
そこの大西さんね。 |
|
ばあちゃん
|
山家屋さん(ヤマガヤ)さん・・・ |
|
西平
|
山家屋さんて茶屋をやってませんでしたか? |
|
ばあちゃん
|
茶屋はどうだか?山家屋さんは番頭さんが出世して、魚河岸へ行ってつまもんやって。
つま問屋の二号さんの子供が今の雀右衛門さん。 |
|
西平
|
誰?歌舞伎ですか? |
|
ばあちゃん
|
うちがまだあるわよ。山家屋さんの番頭さんが、つまもんやってて、栗をむいたり・・・
河岸へ行って、今はもうだめになっちゃったかな。 |
|
西平
|
山家屋さんが今も築地にあるかもしれないですか? |
|
ばあちゃん
|
山家屋さんはなくなっちゃったの。
二号さんの子供、芸者の子供ね。踊りをやったから、子役のときは広太郎といったの。 |
|
西平
|
雀右衞門って坂東?中村ですか? |
|
ばあちゃん
|
中村雀右衛門。80いくつだよ。 |
|
西平
|
その中村雀右衛門さんは、まだ現在もいるのですか? |
|
ばあちゃん
|
いるわよ。出てるわよ。今月は腰を痛めたとかで・・・
雀右衛門といえば、今は歌舞伎じゃ女形
初舞台のとき、市場の人を歌舞伎座を三日間貸切った。市場の人を招待したの。
その初舞台のときの写真、あるわよ。持ってきてみようか? |
|
西平
|
中村雀右衛門さんが市場の関連の人なんだよ。雀右衛門の子供さんは誰でしょう? |
四世 中村雀右衛門(本名:青木清治)
大正9年8月20日生まれ(85歳)
父:大谷友右衞門
昭和2年正月、市村座で大谷広太郎を名乗り「幼写劇書初(おさなうつししばいのかきぞめ)」
の八重丸(「菅原」の桜丸にあたる役)で初舞台。
平成13年日本俳優協会会長に就任。平成16年文化勲章を受章。 |
|
もんど
|
おばあちゃんの市場の屋号は「三幸」でしょ。苗字は何と言われましたか? |
|
ばあちゃん
|
前はね、中島。
中島の家が娘が一人で、あれしちゃって、うちの父が「三幸」の跡をとった。
私の父は市川鐵五郎。「三幸」の店を継いだ。お世話になってたからね。
中島には娘一人しか居なくてね・・
|
|
西平
|
三幸って屋号は江戸時代から続いていた屋号なんだろうね? |
|
ばあちゃん
|
これ、そうそう。松島さんもあるわね |
|
もんど
|
これを見ていただくと、まだご存知の方いっぱいいらっしゃると思うんですよね。 |
|
西平
|
もう秋葉原へ行っちゃってる。でもまだ多町に住んでいたよね。 |
|
ばあちゃん
|
増田さんは?大根屋さん?屋号が武田屋さん(竹田)? |
|
西平
|
すぐそこの?立ち退かないで一軒残っている。大根問屋さんだったんだ。 |
|
ばあちゃん
|
増田さんのところも夫婦養子でしょ。
だからおばあちゃんの土地をあれするのはイヤだって。 |
|
カト
|
立ち退きには色々あったんですか?松本先生が今、色々やっていらっしゃるけど。 |
|
西平
|
俺んちだって砂場の裏の路地につい3年前までいたんだもの。 |
|
カト
|
え〜そうなんですか? |
|
西平
|
代々いたから昔かたぎで土地に執着がない。借地借家でよかったんだんね。 |
|
ばあちゃん
|
村常さん。今もこの人と付き合ってる。孫だかひこ孫だか、奥田さんに譲って。 |
|
西平
|
奥田医院の前は村常さん。ってことは大常のならびだね。塩栄があって、大常? |
|
ばあちゃん
|
いやいや、大常じゃない。 |
|
西平
|
あっ、奥田さんの前ではなくて以前ね。
地図に載ってるでしょ。村常さん、多町大通り。これどうやってみるんだっけ? |
|
ばあちゃん
|
村常さんのうちでも皆、芸事が好きで。 |
|
西平
|
ここら辺にあるはず、この地図いい加減。(須田町中部町会、大塚さん提供の地図) |
|
ばあちゃん
|
みんな一所懸命、大塚さんのお父さんは弁護士。
奥田さんがビルに建て替えない前は村常さんのまま。 |
|
もんど
|
あれがそうだったんですか。 |
|
ばあちゃん
|
玄関があって、窓があって。 |
|
もんど
|
入って右側が待合室になって。 |
|
ばあちゃん
|
三幸は伊勢長・松本さんの前。 |
|
西平
|
おばあちゃんの家は多町大通りに面していたんだ。 |
|
ばあちゃん
|
松本さん、伊勢長って言ったんだよ・・・古いあれだからね。 |
|
西平
|
おばあちゃんの家の前が山家屋(ヤマガヤ)さん? |
|
ばあちゃん
|
山家屋さんはここ。皆、土間が広かったからね。市場だから。 |
|
もんど
|
この道は、大正震災以前は道はない。どぶ板・・・今の遠州園の脇の道みたいに。
遠州園は昔は旅館だったんですよね。 |
|
ばあちゃん
|
旅館の前は・・・何だったけな、荒物屋さん。福原さんの前ね、屋号は分からない。 |
|
もんど
|
このお稲荷さんは?ないでしょ? |
|
ばあちゃん
|
ここにはないわね。 |
|
西平
|
この番地に家が何軒くらい建ってたかは間口で割っていかないとわからないな。
今の倍は家があるはずだし、ここが三鉄。 |
|
カト
|
武田屋さんはこれ? |
|
もんど
|
これ?これは新石町だね。 |
|
ばあちゃん
|
松島さんの隣はバナナ問屋。今、地下掘ってたら出てきたでしょ。 |
|
もんど
|
今、ビル工事で掘っていたらバナナの室(むろ)の煉瓦が出てきたでしょ。 |
|
ばあちゃん
|
サンタケ?苗字は三雲(みぐも)さん、昔はバナナ青いのを室に入れたの。
こっち、鮨孝やなんか・・・あそこいら辺ね。バナナ問屋の室があった。 |
|
もんど
|
芝信用金庫がビルになる前にバナナの室があって、ガスで黄色くするんですよね。
籠(昔罪人を入れたような大きなかご)の中に青いバナナが入ってた。 |
|
ばあちゃん
|
船で真っ青なのを買い付けて、室に入れるの。 |
|
もんど
|
バナナは子供の頃風邪引いたり、病気しなければ食べられなかった。高級品だよ |
|
西平
|
入院してるところに、メロンなんかこねえよ。バナナだよね。 |
|
もんど
|
バナナは子供の頃風邪引いたり、病気しなければ食べられなかった。高級品だよ。 |
|
カト
|
高級品だったのは昭和30年くらいまでですか? |
|
西平
|
そうだよね。30年過ぎてもそうじゃない。
滅多にバナナは口に入らなかったよ。でも一八稲荷の縁日ではタンカバイしてたよね。 |
|
ばあちゃん
|
あと、卵だわね。卵のちゃんと入っているお祝いの・・・ |
|
もんど
|
一八の縁日が出ていたでしょ。とにかく盛んでね。
角から2件目か3件目がバナナの叩き売りだった。 |
|
西平
|
啖呵売(たんかばい)って口上しながらね。客につっこんで笑わせながら。 |
|
ばあちゃん
|
随分バナナの問屋があって、皆地下がね室で。 |
|
カト
|
ガスでもって黄色くなるんですか? |
|
西平
|
温めるわけよ。 |
|
ばあちゃん
|
今でも地下へ行くと涼しい。バナナは真っ青なの。南洋から買ってきてね。 |
|
西平
|
室へ入っているときはあんまり熟さない。売り時を見るわけだよね。
万惣だって今は宮内庁御用達だけど
「スイカ糖」っていうジュースを売って儲けたんだから
売れないスイカを甘くしてジュースにして売ったというよね。 |
|
もんど
|
果物って言わないですよ。水菓子っていったの。
スイカ糖というのがあそこの特許というか。 |
|
カト
|
トウって何ですか? |
|
西平
|
糖分の糖です。 |
|
ばあちゃん
|
そいで腎臓?腎臓にいいとか言ってさ、スイカ糖であれだけ大きくなったのよ。 |
|
西平
|
腎臓にいいって言うか、おしっこが良く出るって話だけどね。そりゃそうだね。 |
|
カト
|
スイカだから・・・ |
|
もんど
|
ところで、根津に伊勢辰ってあるでしょ。あれはもともと神田にあったのよ。
市場のビラを書いたりしていた。広告屋というか・・・ |
|
カト
|
今では根津で江戸の千代紙の名店。 |
|
西平
|
谷中の三崎坂に店出してね。 |
|
もんど
|
その昔は市場でビラ書いてたのよ。 |
|
カト
|
いつ頃あちらに移ったんですか? |
|
西平
|
さあ〜?震災じゃないの?伊勢辰とかビラ辰とか言われていたんだ。 |
|
ばあちゃん
|
幼稚園があったでしょ。 |
|
もんど
|
あったといわれても・・・どこに? |
|
ばあちゃん
|
広告屋さん、駐車場があるでしょ? |
|
もんど
|
火事で駐車場になったんですよ。 |
|
カト
|
歌舞伎屋の裏?三味線屋なんですか? |
|
ばあちゃん
|
歌舞伎屋っだってズ〜っと最近だわね。越してきたの。そんな古い家ではないわね。
あそこのそばに鰻屋があってね。
(広告屋さん「大和通信社」・・・大和通信社のホームページによると昭和10年創業
日の出の手前の角に大きなビルになって・春原英喜が西神田にて広告代理業開始とある)
あそこの人が幼稚園の息子さんよ。昔は幼稚園はあそこくらいしかなかったのよね
|
|
西平
|
ここいら辺で一番古い小学校は淡路町小学校だよね。 |
|
ばあちゃん
|
そうそう、錦華が一番で淡路町が二番。 |
|
西平
|
神田では淡路だよね。
お金持ちの子は淡路小へ行って、貧乏人の子は神田小へ行ったって話。 |
|
ばあちゃん
|
そうじゃない、そんなことじゃないけどね。神田小辺は立ちんぼが多かったのよね。 |
|
西平
|
こっちはね、三河町があったしガラが悪かったのね。 |
|
ばあちゃん
|
立ちんぼがいて、晩になるとお酒呑んで寝ちゃったりして、それで私たちは淡路へ。 |
|
西平
|
やっぱりそうなんだ。 |
|
ばあちゃん
|
新銀町とか、三河町。市場は立ちんぼがいたから、人足がいたからね。 |
|
西平
|
うちの親父なんかもさんざん言ってた。あっちはガラが悪かったって。
うちの爺さん達は運送に人足使って、
九段坂を上った店まで届けたり、荷車引いたり雑用したり。 |
|
ばあちゃん
|
日銭があるから、お酒呑んで酔っ払ってそのまま寝ちゃったりのその日暮らし。 |
|
もんど
|
コレラが流行れば三河町が発症の地だって言われるしね。
ここにも出てるでしょ。(明治の新聞)1軒当たり15人に制限したり、色々出てるね。 |
|
西平
|
人足がいるということは、江戸時代から初期からだから。 |
|
もんど
|
大名行列で槍持ったりなんか、ここから人集めて。今で言うアルバイト。 |
|
カト
|
坂の下なんかにたむろしていて荷物が来たら後ろを押してあげた。というのですか? |
|
西平
|
そもそもは優秀な人足が居た町だからね。
江戸城作るときから、三河の人足が徳川さんと一緒に来て江戸城や町を作るために
住んだ町が三河町だから。その伝統が市場という地域で守られていたという事。 |
|
カト
|
今は三河町はどうなっているんですか? |
|
西平
|
人足が多かった三河町三・四丁目へんは、だいたい今の司町二丁目あたりかな。 |
|
もんど
|
その町を治めていたのが町名主の齋藤月岑なんですよ。 |
|
西平
|
あの辺の町は昭和8年の町名変更のときに、四つも五つもの町が合併になるんで
町名が決らなくて、明神さまに「司町(つかさまち)」という名前をつけてもらったの。 |
|
もんど
|
「つかさちょう」じゃないんだ「つかさまち」なんだよ。正式には。 |
|
ばあちゃん
|
ああ、そうそう。昔のいい名前がたくさんあったわよね。 |
|
カト
|
この辺に住んでいた「傘長」さんは? |
|
西平
|
平塚に引っ越したんだ。「湘南傘長」でホームページあるから。 |
|
もんど
|
もう越されて5年くらいになる?
傘長さんも昔は今の場所ではなく、塩栄さんの並びにあったんだよ。
今、更地になっている(マンション建設予定地)塩栄さんの並びにあったの。 |
|
西平
|
松下さん(看板屋)もそこの隣だったね。 |
|
もんど
|
西洋料理屋もありましたよね?よくカレーライスの出前取った。 |
|
西平
|
多二の鳶頭も住んでいたと聞いたよ。傘長さんのならびに。 |
|
カト
|
傘長さんも古いんですよね? |
|
西平
|
「傘長」って今は名店として有名だけど、オレの親父や仲間達は皆「提灯屋」って呼んでたよ。 |
|
ばあちゃん
|
そう、提灯屋ってね。 |
|
カト
|
たいていこの辺の提灯はあそこへ頼んだんですか? |
|
西平
|
そんな事はないと思うよ。それは先代のときじゃあないかな。
先代は神田明神のお防講の講元をやってたくらいだから。
おばあちゃんのお父さんと同年代くらいで、
彫もん背負ったり、納札やったり市場の顔役だったはず。
当代は戦後うちの親父が青年部を作ったときには一番の若手だったはず。
それはうちに写真がいっぱいある。当代の傘長さんはね。 |
|
カト
|
神田明神にも額が傘長で名前が入っていますね。大塚さんのお家で
富士講の講元をやっていたと言いますが、須田町の大塚さんでしょうか? |
|
西平
|
須田町にも、多町にも大塚さんているから、わからない。 |
|
カト
|
大塚さんだけじゃ分かりませんね。この辺で富士講ってなかったですか? |
|
ばあちゃん
|
三峰山はやってたけどね。 |
|
カト
|
神田の富士講といえば富士山の方ではかなり有名で・・・この辺ではない? |
|
西平
|
え〜そうなの?市場としては江戸趣味の人たちは、大山参りに行くんだよ。 |
|
ばあちゃん
|
大山。そう、それと三峰神社ね。 |
|
西平
|
鳶頭たちとか、この辺の市場の大旦那は。 |
|
ばあちゃん
|
三峰詣では、うちでも行ったりした。写真もあるわよ。 |
|
カト
|
名前とか、決ったグループがあるんですか? |
|
ばあちゃん
|
講元とかの名前とか。上に立ってやる人がいます。 |
|
西平
|
必ず信仰には講があって、講元がいて、代表者がいる。
彫りもん背負ってた江戸趣味の人たちが大山参りしてたのは何々講と名前がついてたの? |
|
もんど
|
あれは「江戸彫勇会」として行っていましたよ。彫勇会ってこれね。
その時の写真はどういうのかっていうと・・・写真を見せる |
|
西平
|
多分、市場の中でもね、江戸趣味で彫りもんとか千社札とかやっている人もあれば、
大旦那として二号さん三号さん囲ってとか、いろいろな趣味の人がいて当然じゃない。 |
|
カト
|
三峰山に行くのと。大山に行くのと。富士へ・・・ |
|
西平
|
富士へ行くと有名なの?神田の富士講が有名なの?いっぱい札が貼ってあったりするの? |
|
カト
|
はい。 |
|
ばあちゃん
|
連雀町の竹内さん。竹内さんが富士講のなんかやってない? |
|
西平
|
先代も先先代も鳶頭だからどうでしょ。連熊さんてやっぱり彫勇会だから。 |
|
ばあちゃん
|
あの人は富士山やってるわよ。毎年お正月に町会の世話なんかして。 |
|
西平
|
それでもやはり信心深いことをやるのは、鳶頭衆とか江戸趣味の人たちなんだよ。 |
|
ばあちゃん
|
そうね。それは。 |
|
カト
|
竹内さんのおばあちゃんに聞けば、その辺の事は大体分かりますね。 |
|
西平
|
当代は旅行代理店やってるでしょ。 |
|
もんど
|
これ覚えてない?
大亀(おおかめ)、波田野栄次郎、小田原屋出入りの大工だったこの人でしょう
これが千加坊、後藤錦、これ大亀。 |
|
西平
|
オオカメって通称?屋号? |
|
ばあちゃん
|
大亀さんは屋号だわね。大工の大で。大体そうよ。大工さんだと名前付けてね。 |
|
西平
|
大も大阪屋系の「大」と大工の「大」と・・・あ〜。 |
|
もんど
|
松崎久三郎ってのかな? |
|
西平
|
久さんね。それで「大久(だいきゅう)」さん。 |
|
もんど
|
明治22年生まれでいろいろな事を書き残している。 |
|
西平
|
お宅の親父は「大錦」にしなかったんだ。「ゴトウキン」だな。ハハハ。 |
|
ばあちゃん
|
塩栄のおばあちゃんのあっちへ嫁に行った、
私の母親の親って言うのはねやっぱり、宮大工でね。
「大そう」やっぱり「大」がつくわね。
松本さんも古くて、信心深くて、長野信州の尼寺・・・
代々宮様が跡を継いでいる・・・善光寺?
その人が東京へ出てくると上野でやって、伊勢長さんで休んで、
赤い毛氈をずっと敷いて町会の人なんか皆あれして・・・
本郷に分院があるのかな?そこへ行くのね。 |
|
西平
|
多二の小田原屋さんと連雀町の小田原屋さんは全然親戚関係ではないのですか? |
|
ばあちゃん
|
親戚・・・どこの? |
|
西平
|
今の、連雀町の酒屋の小田原屋さん? |
|
ばあちゃん
|
連雀町の小田原屋が酒問屋。 |
|
西平
|
それがさっき言った兄弟三人が?一人が塩問屋?という? |
|
ばあちゃん
|
塩問屋じゃない。三人が漬物問屋と酒問屋と味噌問屋。
それで味噌問屋は明神様から何通りだっけ?
天神様へ行く所のこっちの角・・広い通りは? |
|
西平
|
今は蔵前橋通り。 |
|
ばあちゃん
|
その角に味噌問屋があったの。 |
|
西平
|
そこが、連雀町が酒問屋で・・・多町の漬物問屋はどこにあったの? |
|
ばあちゃん
|
どこにあったか知らないけれど、うちの塩問屋がだめになっちゃっ、
漬物問屋の小田原屋さんに譲ったの。多町の小田原屋も兄弟なの。 |
|
西平
|
皆兄弟だって分かった。 |
|
ばあちゃん
|
小田原で小田原城が焼失したときに、
お姫様がまだ小さかったので、家来の人が連れて逃げたんだって。 |
|
西平
|
小田原北条家の家臣でね。
連雀町の小田原屋さんは江戸で一番古い商人じゃないかって言い伝えがある。 |
|
ばあちゃん
|
それだから、小田原屋さん・・・小栗さんて言うの。小栗長兵衛でしょ。
あそこにもお稲荷さんあるのよね。 |
|
西平
|
熊坂長範の山車持ってるでしょ。 |
|
ばあちゃん
|
今はお稲荷さん屋上にあるわね。昔はお祭りがあると私たちよく行っったのよ。 |
|
カト
|
個人もちのお稲荷さん? |
|
西平
|
代々引き継いでいる屋敷稲荷だよね自分ちの。
小田原屋さんは、熊坂長範の山車を外へ出すと悪い事が起こるといってね。 |
|
カト
|
悪い事があったんですか?昔? |
|
ばあちゃん
|
蔵にあったの? |
|
もんど
|
蔵に入っているんですよ。今でも。 |
|
西平
|
熊坂の人形は有名だから、各方面から貸してくださいってくるわけ。 |
|
もんど
|
それがこれ(写真)ですよ。関係者だけには見せるんですよ。 |
|
ばあちゃん
|
そのお雛さまをいまだに三月三日に飾るんですって。 |
|
もんど
|
まだ小田原屋さんにしまってある。
この写真も先代のときだからね。今じゃ着付けやなんかできない。 |
|
西平
|
組み立ても着付けも伝えておかないと・・・ |
|
カト
|
保存状態がどうかってことですよね。どういうところにしまってあるのか。 |
|
西平
|
これは神武天皇。明神様の資料館に入っているね。 |
|
ばあちゃん
|
神武は佐柄木町だわね。よく写真が出るわね。きれいにしてね〜。 |
|
もんど
|
この写真は貴重なんですよ |
|
西平
|
ビルになる前は蔵屋敷だったじゃないですか。
蔵と住まい、母屋が一緒になっていて・・・なんていうんだっけ?
作り方や名前はよく知らないけれど、そこで熊坂をお祭りのときに展示したんだよ。 |
|
カト
|
蔵の中に展示? |
|
西平
|
いや、母屋の方ですよ。だって広いスペースないとできないもん。 |
|
カト
|
で、お稲荷さんも下にあったんですか? |
|
ばあちゃん
|
そうそう。 |
|
西平
|
そのお稲荷さんの話は有名ですよね。子供達がお稲荷さんめぐりをするわけでしょ。 |
|
ばあちゃん
|
そう、お菓子もらいにね。 |
|
もんど
|
鶴岡家にもお稲荷さんがあって、初午の日はみんなそこで振る舞いをするわけ。 |
|
西平
|
初午は大体決りだよね。どこのお稲荷さんでも行ってもやってるわけだから。 |
|
カト
|
この辺で屋敷稲荷として個人として持っていたお稲荷さんはたくさんあったのですか? |
|
ばあちゃん
|
そうね〜。お稲荷さんね〜。 |
|
カト
|
大きいうちにはあったことになるんですかね? |
|
西平
|
あっても家柄とか由緒とか、正しいうちでしょうね。 |
|
もんど
|
鶴岡辰五郎だってでかい家だし、小田原屋さんにしたってそうですね。
小さい所にはないんじゃないですか。 |
|
カト
|
ご商売やってたりとか。大きいおうちだったとかですか・・・ |
|
ばあちゃん
|
そうね〜。お稲荷さんは潰すと良くないっていうのね。 |
|
西平
|
やっぱりね〜!気持悪いもんね。神様を廃棄しちゃうのは・・・ |
|
ばあちゃん
|
代々祀っていられればいいんだけどね。 |
|
西平
|
今、根津とか谷中の方へ行くと、普通の家の玄関の脇にお稲荷さんがあったりするのね。
やっぱり、それなりに謂れがるんだよね・・・きっと
どっか、田舎から出てきた先代が自分の家の氏神様にして持ってくるわけだからね。 |
|
もんど
|
そろそろ時間に・・・最後に聞きたいこととかは? |
|
ばあちゃん
|
何だか話がちぐはぐになっちゃってねえ。 |
|
カト
|
また日を改めて。この辺の当時の結婚式の話が聞きたいんですよ
今みたいに式場でやるんではなくて、
町内にお嫁に来た人が鳶の鳶頭と一緒に町内を回るって聞いたことがあるんで、
その時の話をまた、今度日にちを取ってもらって聞かせてもらえると嬉しいんですけど |
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西平
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それ、俺も聞いた話なんだけど。町で持分が、鳶頭の持分があるじゃない、
境界で鳶頭から鳶頭へ引き渡すって聞いたんだけどイメージが絵にならないんだよね。 |
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もんど
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例えば松本先生のおばあちゃん。今日は体の具合が悪いから日を改めてってことなんだけど、
・・・はお嫁に来た方だから、自分がどうやってお嫁に来たかという? |
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カト
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ですよね。お葬式のときも鳶頭が・・・。 |
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西平
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それは今でも。 |
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もんど
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うちの親父のときは、ここで葬式をやったけど。木遣りでさあ送り出すとか、棺桶は千社札だとかさ。 |
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カト
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写真ありますか? |
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もんど
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どっか探せばあるんじゃないかな。 |
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カト
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その辺の・・・鳶の鳶頭たちがどういう形で町内のことと関わっているのか? |
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西平
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いや〜、今だって町鳶、鳶頭として、お葬式やるときは立ち番やってくれるんだよねえ。 |
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ばあちゃん
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多町のさあ、仕事師のお父さんの御葬式の時はすごくあれで・・・ |
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西平
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山路さんの先代の徳さんかな。 |
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ばあちゃん
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あの人は多町一丁目の鳶頭でしょ。二丁目の鳶頭がいたわけよね。
それで・・・その方かな?その息子さんが、行方で不明・・・また戻ってきてね。 |
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西平
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山路の鳶頭の方は一八通りから向こう、うちの方、旧多一だから、家がね。 |
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ばあちゃん
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山路さんのおばあちゃんも元気だったわね。 |
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西平
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鳶頭の家ってね、女性陣が茶屋を兼業していたケースが多いんですよね。 |
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カト
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茶屋ですか・・・? |
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西平
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茶屋ってね。土間があれば出来たの。荷物を置ける場所があれば出来たの。
うちのじいちゃんは茶屋を兼業じゃなくて、茶屋の専業だったけど。
茶屋って言うのは中の卸問屋でも小売りでも・・・、例えば塩栄さん、黒井さんね。
小売の八百屋やりながら茶屋をやっていて、車力の親方として。
市場が秋葉原に行ったときに、「茶屋株式会社」となったときに、
初代の社長だから・・黒井栄太郎さんは・・・。 |
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カト
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茶屋?そうなんですか。 |
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ばあちゃん
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私の母親の兄さん。市場のいろんなものを持って行っちゃいけないって。関門を立てたの。 |
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西平
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関門ですね。朝もう一般人が入れないようにってね。 |
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ばあちゃん
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母親の母、私たちのおばあちゃんがそれ。その役やってたのよね
それから、秋葉原の市場で茶屋の場所をとるのに、
塩栄のおじいちゃんが随分頭使って区と交渉して、場所をとったのね。茶屋の・・市場にね。 |
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西平
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秋葉原の市場の東西に茶屋の場所を確保したんですよね。 |
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ばあちゃん
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塩栄の叔父さんは若いときに道楽したけどね、とってもお酒は呑まないし、
震災の時は今の消防自動車じゃないでしょ。ホースを引っ張って、
自分の家の事は構わないでもう必死に、ホース引っ張ってさ
「お前達は上野に逃げろ!」なんて言ってさ・・・ |
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西平
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塩栄の黒井栄太郎さんは実写フィルムが残っているから。
お祭りのときの。昭和7年と9年のそれは、皆ダビングして持っているから。
そうか、それ見ていないんだ?で、俺はそのフィルムの解説本を作ったから。 |
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タッキ
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ほ〜っ、そうなんですか?見たい出すよ。 |
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もんど
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1冊ありますよ。家にも、ビデオとセットで。 |
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カト
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神田は神田で、神田記念館作りませんか? |
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西平
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ここ? |
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カト
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ここかぁ〜。 |
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西平
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ここを千代田区が買い上げてくれたりして。 |
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カト
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いや〜、それは無理な話だなぁ。 |
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もんど
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じゃぁ、みんなで記念写真を1枚。カメラ持ってるよね? |
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ばあちゃん
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いいわよ〜イヤよ! |
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西平
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そこへ並ぼうか。ほら、おばあちゃんもいっぺんにしゃべると疲れちゃうから。 |
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ばあちゃん
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あそこの神田学校の隣にさあ、お医者さんがいたのよ。中山さん? |
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西平
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知らないよ〜。俺、おばあちゃんと同年代じゃないんだからさあ。 |
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ばあちゃん
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千葉大学のさ、有名な先生、千葉コウメイ、外科やなんかあれで。 |
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もんど
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座布団ここに敷きますのでどうぞ。 |
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ばあちゃん
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正座が出来ないんで。あぐらかくわけにいかないしね。 |
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写真撮影 |
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カト
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今日はありがとうございました。
おばあちゃん、すごいいっぱい覚えているからビックリしちゃった。 |
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ばあちゃん
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西平さんの家とはね・・古いから、、幸ちゃんね。 |
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西平
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いやいやおばあちゃんと話せるようになったのはねえ。
幸吉おじさん?うちの親父は知らないでしょ?しんじろう? |
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ばあちゃん
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あっ、しんちゃん知ってるわよ。 |
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西平
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まあ、若い時はお祭りのときに相当やったらしんだけど。 |
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ばあちゃん
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しんちゃんは外で会うとお辞儀が丁寧でね。 |
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西平
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親父を知ってくれているお年寄りが、多町にはいてくれてね、嬉しいっすよ。 |
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もんど
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今日は皆さん、長い時間お疲れ様でした。
おばあちゃんから昔のお話をたくさん聞く事ができました。
ありがとうございました。おばあちゃん。 |