◆伊勢長・松本家(江戸時代初期〜現代)

当主は代々長次郎を継ぐ多二の松本家は
江戸時代から居付の市場問屋であった。
文化八年(一八一一)には
三カ町土物青物仲間定行事を勤め
文久三年(一八六三)には
幕府御用山葵問屋六店に
名を連ねる記録がある。

当家は江戸時代の市場草創期より
多町の有力な問屋であったが
江戸・東京の火事、震災、空襲などにより
市場の記録などが
残されていないのが残念である。

震災後に建てられた現在の住まいは
市場店鋪の風情を残す、
貴重な建築物として
文化庁登録有形文化財
の認定を受けている。

◆万辰・鶴岡辰五郎(不明〜明治35年)

生っ粋の市場人。
明治初期には市場各組合の大幹部にして
第一大区第四小区副戸長。
市場店鋪の裏手の閑静な広大な屋敷の
庭に池を設え屋形船を浮かべる
豪勢な暮らしぶりという。

明神さまの氏子総代で祭の渡御行列の
休憩所としても贅を尽した接待をした。
多二の「鐘馗」山車を
保管したのも当家の蔵であった。

また九代市川団十郎の贔屓にて
三升連の催しでは当家にて金屏風の
舞台を設えて「勧進帳」を演じたという。

晩年、事業傾き子供らの放蕩三昧も重なり
鶴岡家は没落していったのは残念である。

◆西藤・白濱藤七(明治中期〜昭和初期)

前記、伊勢長松本家の次男に生まれ修行後に西藤商店七代目主人となる。
兄の長次郎と共に賑やか好きな粋人で毎朝の松尾神社へのお参りと大太鼓を叩くのが日課であったという。
市場の幹部として一生を尽くしたが、昭和六年頃には多二會の町会長をも勤めている。

関東大震災で全焼した神田明神は昭和九年に再建された。
その社殿前の狛犬は神田市場の市場人八名が奉納したものである。
その内の二名が多二の市場人、松本長次郎氏とこの白濱藤七氏である。