| 神田市場茶屋株式会社
茶屋組合は昭和3年、市場が秋葉原新市場に移転する際、いちはやく株式会社を組織して入場した。
茶屋の中には、問屋や仲買を兼業しているものが多かったが、兼業は禁止された。
また、多数の個人事業主がそれぞれ独立して経営するのも困難な事情もあり
秋葉原への移転を機会に、株式会社を設立する事になった。
多町時代の茶屋、約80軒のうち40軒が茶屋株式会社の株主兼従業員となった。
市場の南北に買荷保管所として茶屋会社の使用権を認められ、
さらに他の付属商の軒先の使用権があったため、茶屋会社と他の付属商は揉め続けたという。
茶屋株式会社の初代取締役社長は、多二塩栄こと黒井栄太郎さん(上記写真参照)
またこの時には、買出人が競売で落とした品物を茶屋の買荷保管所まで運ぶ業種として
神田青果運送株式会社が新業種として市場に発足している。
昭和16年に大平洋戦争が始まると青果物が配給統制されるようになり
茶屋の存在理由がなくなってしまった。
配給の時代になると茶屋株式会社は東京市から保証されていた
市場南北の買荷保管所の使用権をあっさりと放棄してしまったのである。
すなわち茶屋株式会社は定款に定められた期間の約半分の15年で解消、解散してしまった。
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