昭和35年 神田祭
千田町会長宅の神酒所前で
大神輿、小神輿が並んで休憩している。
小神輿のうまに座っているのが
小学生時代の私。西平である。
地元、一八寿司横を渡御する大神輿。
神輿前で御幣を掲げ景気をつけているのは
町内鳶頭、当代山路修一郎氏の父君、
当時51才の山路徳三郎氏(故人)である。
― 昭和52年 お別れの旧大神輿、最後の渡御 ―
さぁ、上げるぞ!
大正9年より多町の神田祭で活躍してきた
大神輿、小神輿といよいよお別れ。
時間がたつにつれ名残り惜しさがつのり、
担ぎ手の気合いが増してゆく。
昭和52年 神田祭(旧神輿・最後の渡御)
5月15日(日曜日)

 最悪の天気、大雨の降る中で中神田地区13カ町の宮入参拝の連合渡御が行われた。多町二丁目は三番であった。いよいよこの旧多町一丁目が大正九年に贅を尽してこしらえた神輿とお別れである。全体のいたみがひどく、これ以上の激しい担ぎには耐えられないからである。祭礼の度に貸し出していただいた上野国立博物館には感謝の申しようがありません。
 この年には明神さまに、関東大震災で焼失した随神門が54年ぶりに復興された。しかし台輪寸法3尺のわが多町二丁目の大神輿は大きすぎて随神門を担いでくぐることができずに脇の社務所横から境内、社殿前へと担ぎ、宮入参拝をしたものでした。
 精一杯の宮入参拝を済ませ、町会への帰途の途中に淡路町交差点を越えた外堀通りで撮影した写真が下記のものである。当時、町会公認の会として神田睦、根津祭友会、濱睦の各会に参加していただいている。
四点の棒は、立錐の余地がないほどびっしりと担ぎ手で埋まり、大雨で寒さも感じる中、湯気が立ち昇るほど気合いの入った見事な担ぎで町会へ戻った記憶があります。

★多町二丁目町会神輿[江戸神輿春秋【春の巻】]より

大正時代に本神輿を拵えていた町会となるとこれまた少なかったので、
余計にその存在が貴重となる。月島方面の各神輿、入谷方面の神輿を除いては、
桧物町と、この多町二丁目くらいのものだろう。
しかも多町二丁目の神輿は、文化財に指定されて普段は国立博物館に入っているので
大祭のたびに借り出して担いでいた。
大正九年、八丁堀の先代秋山三五郎氏の作である。
この神輿は外から見て三つほどのきわだった特色がある。
第一は、あらゆる神輿の中でも珍しく三重勾欄である。しかも四方の階が五段づつの二段と、
えらく高く段々が上がっているのに気づく。こんな例は他にない。
第二は、軒下の は普通は二重たるきが多いのだが、ここのは三重たるきと贅をつくしている。
これは同じ秋山三五郎作の、深川の永代二丁目の神輿にしか見られない一大特徴である。
第三は四方扉で、普通は前後扉が最も多い。四方扉は波除様御本社のように宮神輿に多いが、
町内神輿としては、ここと亀沢町四丁目などがある。
このような特色を持つ三尺神輿で、しかも震災前の神輿ときているから
担ぐのも慎重で、秋山三五郎当主がつきっきりであった(昭和52年の神田祭)。

昭和58年発行の林順信氏の著作「江戸神輿春秋(春の巻)」に、このように紹介されていました。
(一部文章を省略させていただきました。)

今日で見納めとなる大神輿が、
お仮屋の前で雨に打たれている。
雨脚は強くなるばかりで、もう人影も
少なくなるばかりである。
大正9年に造られ
関東大震災の被害にもあわず、
昭和8年に国立博物館に献納され、
後の戦時の東京大空襲でも焼けずに
無事だったこの旧多町一丁目の大神輿。
多町祭禮の象徴的存在だったが
これでお別れである。
本当に長い間ご苦労さまでした。

ずぶ濡れの水中渡御で地元、多二へ戻る。
一八通りにて。 奥に司二の神輿が見える。
昭和30年から40年に向けて東京の祭礼と、その文化が大変に下火になり神田祭も非常に寂しい時代があったことが記憶にあります。町会によっては、お金を出してお神輿の担ぎ手を集めたり、担ぎ手の集まらない町会は、お神輿をトラックに積んで宮入参拝したところもあったようです。

我が誇り高き江戸古町、神田っ子気質を育んだ市場の多町にかぎっては、一度もそのような無様なお祭りをしたことはありませんでした。

ところが一転、昭和40年の半ばからお祭りというより、神輿担ぎそのものがまるでファッションのようにブームになったのです。祭好会(浅草)、神祭会(神田)、鬼蔦睦(日本橋)、助六会(神楽坂)などの神輿担ぎの同好会が昭和40年の前後に起ち上がると神田睦(神田)、根津祭友会(根津)、濱睦(横浜)などもあとを追い、そのあとはまるで雨後のタケノコのように東京下町から全域に、関東から日本中にブームが広がり、女の子の担ぎ手も増えていき祭礼が盛り上がり東京の埋もれていた名物神輿も世間に何十年振りのお披露目というおまけもありで、それまで寂しかった祭が一気に人気のお祭りになるという、地元の氏子にとってはうれしいのか、担ぎ手に乗っ取られてしまうのかという複雑な現象もおきてきました。

そう言えば、旧神輿と昭和52年にお別れしてからは一度もお目にかかっていない。30年も経ってしまうと、今の若い方たちは見たこともないわけである。多町の祭礼文化と歴史を伝える意味でも、神田祭の時に町会で国立博物館より貸し出していただき展示だけでもしていただけないかと思う、今日この頃です。