昭和30年から40年に向けて東京の祭礼と、その文化が大変に下火になり神田祭も非常に寂しい時代があったことが記憶にあります。町会によっては、お金を出してお神輿の担ぎ手を集めたり、担ぎ手の集まらない町会は、お神輿をトラックに積んで宮入参拝したところもあったようです。
我が誇り高き江戸古町、神田っ子気質を育んだ市場の多町にかぎっては、一度もそのような無様なお祭りをしたことはありませんでした。
ところが一転、昭和40年の半ばからお祭りというより、神輿担ぎそのものがまるでファッションのようにブームになったのです。祭好会(浅草)、神祭会(神田)、鬼蔦睦(日本橋)、助六会(神楽坂)などの神輿担ぎの同好会が昭和40年の前後に起ち上がると神田睦(神田)、根津祭友会(根津)、濱睦(横浜)などもあとを追い、そのあとはまるで雨後のタケノコのように東京下町から全域に、関東から日本中にブームが広がり、女の子の担ぎ手も増えていき祭礼が盛り上がり東京の埋もれていた名物神輿も世間に何十年振りのお披露目というおまけもありで、それまで寂しかった祭が一気に人気のお祭りになるという、地元の氏子にとってはうれしいのか、担ぎ手に乗っ取られてしまうのかという複雑な現象もおきてきました。
そう言えば、旧神輿と昭和52年にお別れしてからは一度もお目にかかっていない。30年も経ってしまうと、今の若い方たちは見たこともないわけである。多町の祭礼文化と歴史を伝える意味でも、神田祭の時に町会で国立博物館より貸し出していただき展示だけでもしていただけないかと思う、今日この頃です。
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