江戸神社 本社神輿
考察

神田明神の地主神は三社に分祀され
摂社として境内に祀られている。

【 三社の一之宮が江戸神社 】
江戸時代、南伝馬町(現京橋)持ちの
天王祭として隆盛を誇ったが
明治時代となり一戸一神制となり
南伝馬町(現京橋)が山王権現の氏子域と
なった事から明治19年「持ち」が
神田市場五ヶ町へと変更になった。

南伝馬町(現京橋)時代の本社神輿の
資料・写真がなく当時の神輿の行方はわからない。
左記の錦絵にて想像していただこう。

錦絵:黒川治良氏所蔵


↑上記の写真は、大正八年の江戸神社祭禮にて随神門前の石造りの鳥居を出る江戸神社本社神輿
もちろん関東大震災前の旧随神門である。この鳥居は今はない。

写真:神田明神所蔵 


上記二点の写真は大正10年の神田市場「江戸天王祭」時の本社神輿
想像するしかないが、飾り金具など重厚感がありかなり重そうである。
親棒の間に二人の人が入っているのを見ると
台輪寸法も四尺ほどはあろうかという大神輿である。

写真:神田明神所蔵 


上記↑の画像は平成18年(2006)5月
神田明神資料室において
神職K氏によって新たに発見された写真です。

下記↓の写真は上記写真の「神輿」部分のみを拡大したものです。


年代は不明ですが、前回更新した
神田明神旧二之宮「将門神輿」の写真と共に新たに発見された事から
昭和9年の神社新築時の祝典あるいは、それ以後の祭礼と思われます。

当時の境内は緑が多かったのがわかりますし
乃木稀典書「彰忠碑」の以前の境内での位置が確認できます。
 


明らかに大正時代の神輿と違うことは一目瞭然です。

前記、神田市場を渡御している重厚な神輿は大正12年の関東大震災にて
旧社殿や旧鳳輦などとともに灰燼に帰したのでしょう。

しかしながらこの昭和の神輿もかなり大きい神輿です。
震災後に新調したものか借り物かも資料がないのでわかりません。
葺き返しもついていず白木造り、白木の棒などを見ると
制作途中の段階の神輿なのかも知れません。
神田市場は昭和3年に秋葉原に移転していて大分時間は経過していますが
神輿担ぎ手の半纏の背中の代紋には「市場五ヶ町」とあります。

白木の神輿に白木の担ぎ棒ですが、珍しいことに
担ぎ棒に直角に組むトン棒が神輿の前後に、各二本計四本も組まれています。

神輿に上がっている人がいるので比較しやすいのですが
最下段↓の現在の神輿と比べても遜色のない堂々たる大きさです。
この神輿がその後、祭禮で担がれていたのかどうか?
これも記録・資料がなくわかりませんが、戦後新たに下記↓の
江戸神社本社神輿が制作されているので、戦争で焼失したのでしょうか。

↑正体不明の幻の神田市場、江戸神社本社神輿です。

写真:神田明神所蔵 


現在の江戸神社本社神輿です。
昭和33年 浅草小島町 鹿野喜平作

巷間、神田祭では神輿宮入の主役のように言われていますが
本来はかつての天王祭一之宮「江戸神社」の本社神輿です。
毎回、神田祭でお出ましする事から
俗に「神田市場の千貫神輿」などと呼ばれ神輿担ぎ屋さん達は
一度は肩を入れたいという羨望の神輿となっています。

しかしながら、地主神、摂社、天王祭、江戸神社、南伝馬町、神田市場など
神田明神に関わる歴史的背景を知って神輿に参加している方が
どれだけいるかは疑問の残るところです。

個人的希望ですが、かつての神田市場五ヶ町が「持ち」として斎行した
江戸神社単独での「天王祭」を復活していただきたいものです。
 

【参照】

神田祭は幕府御用の天下祭。そして・・・
町びとをさらなる興奮の渦に巻き込んだのは
荒振るに本社神輿を担ぐ神田明神の三天王祭であった。

元和二年(1616)二代将軍・徳川秀忠は神田明神の地主神たる
素戔鳴命を祭神とする午頭天王社を三社に分けた。
この三社は江戸時代草創期に重要な役割を担い財力と権力を持った
町年寄のいる、三つの町の「持ち」となり運営を任された。
「一の宮」は南伝馬町持ち、「二の宮」は大伝馬町持ち、「三の宮」は小伝馬町の持ちであった。

神田祭は二基の本社神輿に各町の山車が供奉する行列仕立ての祭礼であるが
この三天王祭はそれぞれの本社の神輿を町人たちが担いで渡御する神輿振りの祭で
毎年六月に盛大かつ熱狂的に行われていたという。

寛文六年(1666)より「三の宮」は「持ち」が日本橋小舟町(八雲神社)に変わった。
現代でもその小舟町八雲祭(天王祭)は四年毎に日本橋小舟町に豪勢な御旅所を拵え
昭和十年・後藤直光作の本社大神輿が町内を渡御巡行し江戸時代よりの伝統と文化を今に伝えている。

明治時代に入り「一の宮」は須賀神社と改称されたが
明治十八年(1885)に「持ち」が南伝馬町より神田青物市場に変わったのを期に名称も
「江戸神社」となり神田市場の絢爛豪華な天王祭も市場内に止まらず、東京中の市民を驚かせたという。

現在その祭礼は神田祭と同日に行われ昭和三三年・浅草小島町の鹿野喜平作の神田市場の大神輿が
神田祭の主役の様に扱われているが、本来その神輿は天王祭「一の宮」江戸神社の本社神輿なのである。
「二の宮」大伝馬町・八雲神社の祭礼は残念ながら現在は行なわれていないが、
かつての天下祭(神田・山王)で一番山車(諌鼓鶏)を担った
誉れ高き江戸古町の大伝馬町には天王祭の復活を望みたいものである。