【参照】
神田祭は幕府御用の天下祭。そして・・・
町びとをさらなる興奮の渦に巻き込んだのは
荒振るに本社神輿を担ぐ神田明神の三天王祭であった。
元和二年(1616)二代将軍・徳川秀忠は神田明神の地主神たる
素戔鳴命を祭神とする午頭天王社を三社に分けた。
この三社は江戸時代草創期に重要な役割を担い財力と権力を持った
町年寄のいる、三つの町の「持ち」となり運営を任された。
「一の宮」は南伝馬町持ち、「二の宮」は大伝馬町持ち、「三の宮」は小伝馬町の持ちであった。
神田祭は二基の本社神輿に各町の山車が供奉する行列仕立ての祭礼であるが
この三天王祭はそれぞれの本社の神輿を町人たちが担いで渡御する神輿振りの祭で
毎年六月に盛大かつ熱狂的に行われていたという。
寛文六年(1666)より「三の宮」は「持ち」が日本橋小舟町(八雲神社)に変わった。
現代でもその小舟町八雲祭(天王祭)は四年毎に日本橋小舟町に豪勢な御旅所を拵え
昭和十年・後藤直光作の本社大神輿が町内を渡御巡行し江戸時代よりの伝統と文化を今に伝えている。
明治時代に入り「一の宮」は須賀神社と改称されたが
明治十八年(1885)に「持ち」が南伝馬町より神田青物市場に変わったのを期に名称も
「江戸神社」となり神田市場の絢爛豪華な天王祭も市場内に止まらず、東京中の市民を驚かせたという。
現在その祭礼は神田祭と同日に行われ昭和三三年・浅草小島町の鹿野喜平作の神田市場の大神輿が
神田祭の主役の様に扱われているが、本来その神輿は天王祭「一の宮」江戸神社の本社神輿なのである。
「二の宮」大伝馬町・八雲神社の祭礼は残念ながら現在は行なわれていないが、
かつての天下祭(神田・山王)で一番山車(諌鼓鶏)を担った
誉れ高き江戸古町の大伝馬町には天王祭の復活を望みたいものである。