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昨秋、第2回「神田を歩こう会」の案内役を不肖、西平が依頼されたが
当日の雨で延期となり、代替え日も都合がつかずにお役に立てなかった。
今回は第3回「神田を歩こう会」に再びご指名をいただき案内役をさせていただいた。
企画・主催「NPO法人 としまち研」は神田を中心にさまざまな活動でご活躍中。
詳しくは当サイトのリンクページから「NPO法人としまち研」へどうぞ。
14:00にお茶の水駅前の日立本社ビル前に集合したのは30人。
では出発・・・(雨よ、降らないでっ〜)。
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第1ポイント
聖橋手前の椋の木は御神木
太田姫稲荷神社旧社地である
一口(いもあらい)の名が神社や
坂、橋の名にもなった。
現在の「太田姫稲荷神社」
「昌平橋」「淡路坂」などが
かつてそう呼ばれていた。
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第2ポイント
人工河川の神田川は
「軍事」「水運」「水害予防」と
さまざまな役割を担っていた。
掘り下げた土で
須田町から浅草橋までの
南岸に「柳原土手」を築いた。
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第3ポイント
湯島聖堂は1632上野より移築。
孔子の儒学、朱子学を導入した
林羅山により確立された。
かつて昌平坂学問所と呼ばれる
昌平とは孔子の故里の地名である。
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第4ポイント
境内には、神田明神成立前の
居着きの地主神が摂社として
三社に分けられ鎮座している。
男坂よりの眺めは
湯島台の高さを実感できる。
上は「元万世橋」の欄干。
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第5ポイント
女坂とも呼ばれない坂を下りる。
かつて花街として栄えた明神下。
この町は講武所の費用を賄うために
できたので講武所芸者と呼ばれた
姐さんたちは小意気であった。
明治期の華やかな頃の「開花楼」は
錦絵にもなるほど有名であった。
通りには「伊勢丹発祥の地」
石碑がこじんまりと・・・
関東大震災後に新宿へ移転した。
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第6ポイント
秋葉原の地名は
明治になってからと新しい。
火除け地(空地)が庶民から
「アキバガハラ」と呼ばれた事から。
省線(鉄道)の駅名から
「アキハバラ」に変化したか。
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第7ポイント
「筋違い橋御門」跡の
この地には巨大な
枡型門がそびえていた。
レンガは「万世橋駅」
(現交通博物館辺)
華やかりし頃の名残りである。
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第8ポイント
連雀町と呼ばれるこの地域には
明治創業の老舗が多い。
「いせ源」「下久」「やぶそば」
「まつや」「近江屋」「ぼたん」
「志の多寿司」「松栄亭」「竹むら」
など・・・
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第9ポイント
CO-MET神田館
都立大学研究拠点
休憩
いちごハウスあんぱんタイム
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第10ポイント
「斎藤月岑居宅跡」
顕彰碑(司二)
江戸を学ぶ必読書「江戸名所図会」
など多数の著書を残した
草創名主斎藤家の居宅跡。
「松尾神社」(多二)は
江戸期より神田多町市場の鎮守。
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第11ポイント
多二「松本家住宅」は
神田多町市場時代の商家の
風情を残す、ただ一軒の木造住宅。
市場時代は山葵を専門に扱う大店。
住宅は文化庁の「登録有形文化財」に
指定されている。
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14時にお茶の水駅前を出発して、途中休憩を含め17時半頃に多二松本家前で解散となった。
みなさま、たいへんにお疲れさまでした!また、機会があればお会いしましょう。
「としまち研」スタッフの皆様、お疲れさまでした。
ありがとうございました!
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